金沢市における無形文化遺産の保護と活用に関する取り組み

河原 淸
1.視点

この普遍的なテーマに対しては、それぞれの地域において、無形文化遺産の保存・継承がどのように具体的に図られてきたかという観点から公私の取り組みを丁寧に整理することが重要である。その作業の過程で、解決すべき課題の本質が発見できるはずである。

無形文化遺産は、その担い手が地域住民であることから、住民の活動と無形文化遺産の消長とは当然のことながら相互に密接な関係性を有しており、その意味で、活動の基盤であるコミュニティとも深くかかわっている。したがって、課題を明らかにし、対応策を考えていくためには、地域住民の活動そのものであり、そのことをとおして維持されてきたそれぞれの文化遺産の歴史的な文脈とそれらの基盤としてのコミュニティの変遷を探ることが重要となる。そしてその上で、あらためてこれまでに金沢市が展開してきた保存政策に着目し、地域住民の活動との関わりの中でその展開を検証していく必要がある。

なお、本論でいう「無形文化遺産」とは芸能、伝承、社会的慣習、儀式、祭礼、伝統工芸技術、文化空間などを含むものであり、価値の高い無形の文化財と同義として扱う。

2.文化遺産を形成する歴史的文脈とそれらの基盤としてのコミュニティの変遷

加賀藩・前田家の歴史が、有形、無形を問わず、金沢の文化遺産の形成過程を理解する上で重要なものであることは言うまでもない。

天正9年(1581)、前田利家の能登一国支配が始まる。同11年(1583)に利家は、石川郡・河北郡を加増されたのにともない尾山(金沢)城に入り、ここに城下町金沢が成立する。さらに慶長5年(1600)、第二代利長は江沼郡・能美郡を加増されている。

城下町金沢の特色は、まず景観的には、地形を巧みに利用して様々な歴史文化遺産が存在していることにある。一方、文化伝統の観点からみれば、武家文化が混入した市民文化が連綿と継承されていることが特徴的である。

加賀宝生は金沢を代表する無形文化遺産である。そこには二つの側面を見てとることができる。世界無形文化遺産として登録された「能楽」としての一面、そして金沢固有の代表的な無形文化財としての一面である。この加賀宝生は明治維新でも断絶しなかった武家文化の一例であるが、それは民間人の手によって復興されたものである。断絶の危機を乗り越え、加賀藩政期から今日まで連続して維持されてきているという特有の展開の中に、これからの無形文化遺産の保存・継承・活用に向けた視点と課題を考える上での重要な示唆が含まれている。

3.制度面からみた文化財保護行政のあゆみ

ここで我が国における文化財保護行政の歩みを簡単に整理しておこう。

              1871年(明治4)太政官布告・古器旧物保存法
対象は有形文化財(建造物を除く)
1897年(明治30)古社寺保存法 
 建築(社寺以外含む):特別保護建造物、宝物:国宝
1919年(大正8)史蹟名勝天然紀念物保存法
 史跡・名勝・天然記念物
1929年(昭和4)国宝保存法
 建造物、国宝が対象。現行指定制度の基本
1933年(昭和8)重要美術品ノ保存ニ関スル法律
 未指定物件(美術品・建造物)の海外流出防止が目的
1950年(昭和25)文化財保護法
 史蹟名勝天然紀念物保存法・国宝保存法・重要美術品ノ保存ニ関スル法律の3法を
統合・拡充
 国宝・重要文化財の2段階区分
 無形文化財・埋蔵文化財を保護対象に追加。
1954年(昭和29)文化財保護法改正
 重要無形文化財の指定制度及び記録選択制度の創設
 埋蔵文化財包蔵地発掘の事前届出制の実施
 重要民俗資料の指定制度及び記録選択制度の創設
 史蹟名勝天然紀念物を史跡・名勝・天然記念物に分離及び各々の指定基準を整理
 文化財保護委員会の設置
1968年(昭和43)文化財保護法改正
 文化庁の発足に伴い行政機関文化財保護委員会を廃止
 文化庁所管の審議会として文化財保護審議会の設置
 環境庁設立による意見交換体制の整備
1975年(昭和50)文化財保護法改正
 民俗資料を民俗文化財に改め、指定制度を創設
 伝統的建造物保存地区制度の創設
 文化財保存技術の保存制度及び選定保存技術制度の創設
1996年(平成8)文化財保護法改正
 登録文化財制度(建造物)の創設
 有形文化財建造物の指定基準に産業施設、土木構造物を明記
2005年(平成17)文化財保護法改正
 文化的景観制度の創設
 登録文化財制度を建造物以外の有形文化財及び記念物にまで拡充
 民俗技術を文化財に追加

ここでポイントとなるのは、1950年(昭和25)の文化財保護法の制定によってはじめて、無形文化財が保護対象となったことであり、大きな流れとしては、日本の文化財保護行政はモノ(有形文化財)の保存を中心とした展開であることである。

つぎに、金沢市における文化財保護行政の歩みについてもまとめておこう。

              1947年(昭和22)憲法公布記念金沢市文化賞条例 
1949年(昭和24)金沢市文化財保存選奨条例
 憲法公布記念金沢市文化賞条例を廃止

第1条

この条例は、金沢市に在る文化的遺産及び記念すべき自然物を保存し、ならびに文化活動又は文化所産を奨励して、文化都市の建設に寄与することを目的とする。

第2条

市長は、この条例により、本市にある建造物、美術品、工芸品、文献、工芸技術ならびに芸能、風俗、習慣、行事その他有形又は無形の文化財若しくは記念すべき自然物及びこれらを含む地域のうち保存の価値あるものを選んで、これを金沢市記念文化財として、必要な保存及び記録の方法を講ずることができる。

第3条
市長は、この条例により、本市の文化内容を向上し、豊富にすると認められる文化活動又は文化所産を選んでこれを選奨し、又は助成することができる。

              1973年(昭和48)金沢市文化財保護条例 
金沢市文化財保存選奨条例を全文改正

第1条
この条例は、本市の区域内にある文化財を保存し、かつ、その活用を図り、もって市民文化の向上に資するとともに、わが国文化の進歩に貢献することを目的とする。
第5条
市は、文化財のうち重要なものを、金沢市指定文化財に指定することができる。
第13条

指定文化財の管理、修理、復旧又は保存につき多額の経費を要し、所有者等又は管理責任者がその負担に堪えない場合、その他特別の事情がある場合には、市は、その経費の一部に充てさせるため、指定文化財の所有者等又は管理責任者に対し、予算の範囲内で補助金を交付し、又は相当の金額でこれを買い上げることがある。


4.無形文化財保存の取り組み経過

法律や条例の整備に伴い、これまで金沢市では以下のような無形文化財保存の取り組みを実施してきている。
無形文化財保存助成: 1979年(昭和49)~
技と芸の人づくり 伝統芸能伝習者育成事業: 1989年(平成元)~
職人さんの謡曲教室: 2000年(平成12)~
加賀万歳練習塾: 2001年(平成13)~
加賀宝生子ども塾: 2002年(平成14)~
素囃子子ども塾: 2005年(平成17)~
職人さんのお茶教室: 2006年(平成18)~
金沢能楽美術館開館: 2006年(平成18)

このうち伝統芸能伝習者育成事業について2004年(平成16)度に認定者現状調査を実施したが、その結果は下表のとおりである。1989年(平成元)度~2000年(平成12)度の認定者総数121名のうち、2001年度現在も育成対象となった伝統芸能を続けている人数は76名であった。

内訳

続けている

続けていない

その他

続けている人の割合

37名

18名

4名

59名

 63%

狂言

2名

 

 

2名

 

素囃子

37名

22名

1名

60名

62%

合計

76名

40名

5名

121名

63%

ここで、無形文化遺産が都市化やグローバリゼーションの進展で急速に消滅しつつある、ということの意味を考えてみよう。

個別化、少子化、高齢化、情報化といった社会状況の変化にともなって生活スタイルが変化したということがまずあるだろう。それはコミュニティの希薄化をもたらし、従来からの関係性(地縁・血縁)の変化へとつながっていった。つまり、かつては伝統的なコミュニティの中でさまざまな活動を維持する上での「自立的システム」が機能していたが、近年の社会状況の変化でそれがうまく機能しなくなったのである。

その「自立的システム」とは、近隣(コミュニティ)の関係の中で、1)活動の担い手を探しだし、2)動機付けを行い、3)育てていくシステムのことである。活動の担い手を「探し出す」とは後継者を発掘することであり、「動機付けを行う」とは稽古を継続させるための時間と金を親が提供することであり、「育てていく」とは教える人材が存在することである。かつてはこれらの機能が全てコミュニティの中で循環し、自立的に完結してきた。

無形文化遺産が失われていく原因とプロセスをこのようにとらえるとすれば、それを復活させるためにとるべき措置も自ずと明らかである。それは、この3つの機能が揃った活動の「自立的システム」を立て直すことにつきる。そこでは、地縁・血縁といった従来からの関係性に着目するコミュニティからのアプローチが重要な意味をもつ。今後は、コミュニティの力を生かすという視点から金沢市の一般的アプローチのあり様とその成果をあらためて検証していくことが必要になろう。

5.活用の取り組み

無形文化遺産を活用する際の基本方針は、固有の歴史と文化を都市のにぎわい創出に生かすということである。人が街に出られるようにするには歩けるまちづくりを推進する必要がある。また、交流人口拡大のためには広域交通ネットワークを整備しなければならない。

金沢市では2004年10月に金沢21世紀美術館が開館した。オープンして3年ですでに入場者数は300万人を超え、「美術館が街を変えた成功事例」と評されたが、真の評価はこれからである。

この金沢21世紀美術館は、その名称に如実に現れているように金沢文化の「先端」を代表する施設である。それに対して、2006年10月に開館した金沢能楽美術館は、初代、2代の佐野吉之助が収集した加賀宝生にかかわる能面や装束を展示する施設で、金沢文化の「伝統」の側面を強調するものといえよう。この二つの美術館に象徴的に現れているコンセプト、それが「伝統と先端の対峙」なのである。

金沢のまちはしばしばフランスのパリと類似していると言われる。気候、新旧の対峙、歴史の連続性と文化の多様性、といった事柄が似ているだけではない。旧市街地に文化施設が集積していること、食や芸術の中心であること、そして学生のまちであることなども共通している。

6.まとめ

文化遺産は有形、無形を問わず、地域住民の活動とその基盤としてのコミュニティ(住民相互の関係性)とによって、創造され、維持され、断絶してきた。これらのことの主体は、地域に住み生活する住民であり、それらが創造される過程、維持される過程には、地域住民の多種多様な活動があり、そのことで活動を維持していく上での活力が生み出され、それがコミュニティを維持し発展させる力となる。すなわち、文化遺産は、それぞれの文脈と連続するコミュニティの活動の中で維持されていくという本質を有しており、それらを維持していくための文化政策における一般的アプローチでは限界がある。

一方、このコミュニティアプローチは、内なる活性化のプロセスとも言え、交流人口の拡大が都市の発展につながるとする都市政策の今日的な考え方とも乖離している。その意味で、文化政策の対象は、それら地域住民とその活動の基盤であるコミュニティであり、文化政策は同時にコミュニティ政策の視点を併せ持つものでなければならない。

研究者紹介

近影

河原 淸

金沢市都市政策局 国際文化課長

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