「日中両国の伝統話芸」開催報告

2008/12/10

去る10月14日、日中講談交流仲間の会と共催で「日中両国の伝統話芸」が開催され、アートシアターいしかわ(金沢市)にて日本と中国の講談師七名が競演しました。当日は学生や市民など約80名の来場者がありました。
冒頭、金沢大学人文学類長・柴田正良教授より挨拶がありました。

 

―日本の講談―

 

鼎談 講談入門 ・・・神田陽子 神田京子 木越治

はじめに「講談入門」と題して、木越治教授が神田陽子先生と神田京子さんに講談に関する基礎知識をうかがいました。まず二方に短編の講談「鉢の木」をご披露いただきました。「鉢の木」は二代目山陽によって、声の高低、緩急、謡調子、たたみ込みなど、一言一句丁寧に教わったので、二人で合唱することもできるそうです。12歳のときに89歳の山陽に入門したという京子さんに、講談「徂徠豆腐」をご披露いただいた後、次いで陽子先生には金沢にちなんで「加賀の千代」をご披露いただきました。会場には「加賀の千代」の台本が配られ、台本を見ながら講談を聴くことができました。「俳句の七五調は特にゆっくり読み上げ、そのほか速いところは速いですね。目で読むより、耳で聴く方がやはり面白いですね」と木越教授。陽子先生は「皆さんもぜひ練習して、新年会、忘年会、法事のときに披露してくださいね」と冗談を交えながら、講談の魅力を伝えました。翌日、金沢大学にて陽子先生による特別講演も行われました。

講談 男の花道 ・・・桃川鶴女

続いて、桃川鶴女先生にご登場いただき、講談「男の花道」をご披露いただきました。
マクラでは「高座」、「釈台」、「マンダラ(手ぬぐい)」、「風(扇子)」、「張り扇」など講談に用いられる道具類をご紹介いただきました。講談師はマクラを語りながら、客の反応を見ており、「こうやってマクラが長くなるということは、まだ私と皆さんの心と心が溶け込んでいないからなんですよ」と笑いを誘い、その巧みな話芸に会場は徐々に引き込まれました。

あらすじ
 眼科医・半井源太郎は、東海道の旅籠で偶然泊まり合わせた中村歌右衛門の眼病を治療する。歌右衛門は非常に感謝して、礼金百両を渡すが、「役者は人の心を癒し、医者は人の病を癒すもの」といって半井は受け取らない。そこで歌右衛門は「先生の身の大事には必ず手紙一本で馳せ参じてお役にたちます」と約束をかわす。
 それから三年後、半井は旗本・土方縫之助の宴席で「唄うか踊るか芸をしろ」と言われて断り、土方の怒りをかってしまう。窮した半井は自分の代わりに歌右衛門を呼びよせると言うが、土方は「五つの鐘が鳴るまでに歌右衛門が来なければ切腹しろ」と命じる。
半井の手紙を受け取った歌右衛門は、上演中にも関わらず、満員の観客に口上で詫びて、恩返しのために駆けつける。五つの鐘がなって、半井が刀を腹につきたてようとしたそのとき、歌右衛門が現れて半井は窮地を救われる。
 歌右衛門は芝居小屋に再び戻るが、その間観客は一人として帰らず、歌右衛門の帰りを待っていた。ますます人気を博す歌右衛門。そしてこれをきっかけに名を知られるようになった半井は、その後将軍の眼病を見事に治療して、日本一の名医と謳われるようになった。

講談 寛永三馬術より 出世の春駒・・・室井琴梅

続いて、宝井琴梅先生にご登場いただき、講談「出世の春駒」をご披露いただきました。
琴梅先生は日中講談交流仲間の会の会長をされており、上海、蘇州へ見学に行った際のお話もうかがいました。中国の講談について、「日本の講談より仕草が派手で、歴史が長いだけあって演出もオーバーですね。今日は中国の講談に負けないように、仕草を臭くやってみたいと思います」と意気込まれました。「出世の春駒」では石段を登る平九郎とその馬の様子を軽妙な語り口で描き、会場の参加者は話芸の妙味を存分に堪能しました。

あらすじ
 江戸三代将軍徳川家光が将軍家の菩提寺に参詣した帰りに、愛宕神社の下を通る。
折しも春、愛宕山には紅白の梅が咲き誇っており、梅を目にした家光公は、「誰か馬で石段を駆け上り、あの梅を手折って参れ」 と命じる。
 しかし愛宕山の石段は急勾配で、馬に乗って上がるなど到底できそうにない。三人の家来が挑戦するが、七合目まで登っては馬が止まり、棹立ちになり、しまいには人馬共々崩れ落ちてしまう。
 そこで名乗りでたのが、讃岐丸亀藩士・曲垣平九郎である。平九郎は、貧弱で左足が悪い馬を説得して石段を登り始める。七合目まで登って、馬は「だんな、もうここまでで精いっぱい」と音をあげるが、平九郎は馬の耳に入る汗を拭いたり、絶壁を見せぬようにして励ましながら、見事山上まで登りきる。そして梅を手折り、男坂を一気に駆け下りて、家光公に梅を献上する。
 この手柄によって平九郎は家光より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、褒美に名刀を授かった。

  

 

―中国の講談―

 

三国志の講談(評話)について・・・上田望

第二部では、中国の講談を初めて聴く方のために、上田望准教授に中国の講談「評話」について解説いただきました。
 評話(ピンホア)とは、中国の伝統的な話芸の一つで、「評」は「論評する」の評、「話」とははなし、物語という意味です。講談師が、一つの筋書きを第三者の視点から語っていき、間で複数の登場人物を一人称で演じ分けます。「弾詞」などと異なり、歌唱や楽器の伴奏はなく、一人で演じられることが多いのもその特徴です。
スライドでは、元代の『全相三国志平話』や明代の『三国志演義』、そして日本の葛飾戴斗画『絵本通俗三国志』、歌川國芳画「通俗三国志」における「長坂橋の戦い」部分の挿絵が紹介されました。

三国志より 長坂橋の戦い・・・王池良

王池良先生の語る評話「長坂橋の戦い(原題:長坂坡)」では、小説『三国志演義』には見えない張飛と曹操のやりとりや、もと劉備の部下だった徐庶の劉備に対する忠義立てなど、登場人物たちのそれぞれの思惑の絡んだ心の動きが丁寧に語られています。また、馬の駆ける音や嘶き声などの本物そっくりの擬音をだす口技の迫力に会場からは大きな拍手が起こりました。

あらすじ
 後漢の建安13年(紀元208年)秋、華北をほぼ手中に収めた奸雄曹操は、ライバル劉備が仮寓する荊州の新野に侵攻する。二十万の民衆とともに新野を逃れた劉備軍は、曹操軍の追撃を受けて大混乱に陥る。
劉備の二夫人と幼子の阿斗を警護する任にあった勇将趙雲は、乱軍の中、阿斗を救いだし、懐に入れて単騎で曹操百万の軍勢を駆け破って長坂橋までやってくる。
 そこには、劉備の義弟、猛将張飛が仁王立ちで待ち構えていた。趙雲と阿斗を先に逃がした張飛は軍師諸葛孔明ばりの策をめぐらす。長坂橋まで追ってきた曹操軍は、以前、部将夏侯惇が博望坡にて火攻めの計で散々な目に遭ったのを思い出し、同じ火攻めのわなではないかと進むのを躊躇する。張飛はすかさず大音声で一喝し、怖じ気づいた曹操軍は蜘蛛の子を散らすように長坂橋から逃げ出す。

水滸伝の講談(弾詞)について・・・黒田譜美

次に、弾詞と「藩金蓮(原題:叔嫂初逢)」のあらすじについて、説明がありました。
 弾詞には、蘇州弾詞、揚州弾詞、四明弾詞などがあり、蘇州方言を用いる蘇州弾詞はその代表格で、三弦や琵琶を伴奏に唱われる優雅な旋律を特色とします。
 現在でも蘇州、上海、無錫、南京、杭州など長江下流域に三百名ほどの講談師が活動しており、各地の書場で一篇の長編物語が毎日二時間半ずつ、半月ほどかけて口演され、連日多くの常連客が通っています。

水滸伝より 藩金蓮・・・王瑾・袁小良

王瑾先生が演じる潘金蓮は、女性の視点で内なる葛藤を切々と謳いあげており、小説の『水滸伝』や『金瓶梅』で描かれる悪女像とはやや趣を異にしています。王瑾先生扮する潘金蓮が武松に見惚れる場面で「かっこいい!」と日本語で感嘆すると、会場からは笑いと拍手が起こりました。参加者は初めて聴く弾詞の琵琶と三弦の音色に熱心に耳を傾けました。

あらすじ
 水滸伝108人の英雄豪傑の一人である武松は、景陽岡で人食い虎を退治した後、陽穀県の街中で、実の兄である武大郎と三年ぶりに再会する。武大郎は自慢の弟が帰ってきたと大喜びして、早速武松を連れて帰宅し、照れながら妻の潘金蓮を紹介する。武大郎は背が低く顔が醜いことから、近所では「三寸ちび」とあだ名されていた。そんな兄に嫁がきたと知って、武松は驚き喜ぶ。
 一方、潘金蓮は美貌の持主で、以前は金持ちの小間使いであったが、主人の恨みを買ったがために、武大郎に一文も取らず嫁入りさせられた身である。夫とは似ても似つかぬ、堂々たる偉丈夫の武松を見て、潘金蓮の心は激しく揺れ動く。

最後に、神田陽子先生を司会として、会場との交流がありました。初めて講談を聴いた学生から「中国の講談では、字幕があったのでよく理解できて面白かった」といった感想や、中国からの留学生から「中国と日本の講談はよく似ている。冗談を交えていてよかった」などの感想がありました。

  

 

講談師プロフィール

宝井琴梅
1966(昭和41年)十二代目田辺南鶴に入門、前座名鶴遊(かくゆう)。1968(昭和43年)、南鶴師の死去により五代目宝井馬琴門下となり、琴時(きんとき)と改名。1975(昭和50年)真打昇進、宝井琴梅を襲名。時代との適合をつねに心がけていた南鶴、真っ向から大きく押しまくる馬琴。両師匠の長所を受け継ぎ新作、古典の両面を読む。辻講釈、出前講談、農業講談などの他、キンバイ米栽培、梅桜寄席などユニークな活躍を展開中。

桃川鶴女
大阪府出身。昭和48年12月田辺一鶴に入門、昭和49年春 本牧亭にて初高座、平成16年4月 田辺改め桃川鶴女として独立、地元では地域寄席を開き、意欲と情熱を燃やし後継者の増大に努力。主な読み物は、「男の花道」「曽我物語」「玉川上水の由来」「左甚五郎」「水戸黄門」「義士伝 南部坂雪の別れ」「瞼の母」「情けの仮名書き」など母子物多数。古典のすばらしさを現代に伝え、鶴女ならではの人情話を語る。

神田陽子
1979年二代目神田山陽門下に入門、1982年二ツ目昇進、1988年真打昇進、寄席を拠点に活動。熊本崇城大学の教養講座客員教授としても活躍。得意ネタは忠臣蔵 怪談など。NHKTV「金曜時代劇・からくり事件帖」(ナレーション)や「俳句王国」「徹子の部屋」他にも多数出演。6枚組CD「怪談ものがたり」(テイチクエンタテインメント)、CDブック「イッキ詠み!神田陽子の講談日本史」(廣済堂出版)など。

神田京子
平成11年 講談師・二代目 神田山陽に入門。平成13年 師匠山陽他界により、陽子門下へ。平成17年二ッ目に昇進。都内の寄席に出演の傍ら、独演会・地方公演・他ジャンルとのコラボレーション企画など、形に囚われない講談の会を開催。他にラジオ・テレビ出演も。活動の様子はブログ(http://blog.kandakyoko.com/)を参照して下さい。

王池良 (ワン チリァン)
国家一級芸人。1987年に蘇州評弾学校を卒業。呂也康に弟子入りし、その後中国北方の語り物である評書の名人劉蘭芳に指導を仰いだ。得意演目は『康煕皇帝』や『三国志演義』など。澄み切った声音と明瞭な語りが持ち味で、江蘇省演芸祭では第二回から第四回まで連続して優秀演技賞を受賞。その他、中国評弾芸術祭の優秀演技賞や中国演芸新人賞が授与され、中国南北評書評話コンテストでは第一位に輝いた。カナダや台湾での公演では、評弾ファンや同業者から高い評価を得ている。

袁小良 (ユエン シャオリァン)
国家一級芸人。幼少より評弾芸人である父母の薫陶を受け、1979年蘇州評弾団に入団。龔華声、尤惠秋、薛小飛等に師事し、京劇や民間音楽などの要素を取り入れ、硬軟自在の唄い調子を確立した。得意演目は『麒麟豹』や『孟麗君』など。中華人民共和国政府文化省より“文化演技賞”が授与され、中国評弾芸術祭では第一回から第三回まで連続受賞している。袁小良と王瑾はマスコミや評弾愛好家から“ゴールデンカップル”と評され、北米、西欧、東南アジア等でも活動を展開し、国内外から熱烈な歓迎を得ている。現在、江蘇省演芸家協会理事、蘇州市演芸家協会副主席等兼任。

王瑾 (ワン ジン)
蒋雲仙に師事し、実力派若手芸人としてその名を知られる。読み調子と歌い調子ともに天性の資質を発揮し、1986年蘇州評弾学校卒業時には、最年少にして江蘇・浙江・上海地区主催の評弾コンテストにて最優秀賞を受賞した。また評弾界の代表として中国曲芸家協会が派遣した日本訪問団に参加したことも話題となった。これまで中国評弾芸術祭では「優秀演技賞」、江蘇・浙江・上海地区評弾コンテスト精鋭若手部門では「優秀賞第一位」等を獲得している。