第2回 2007/09
中緬国境のキリスト教徒ラフ村(2)
西本 陽一
教会の入口横には「雲南省民族宗教管理規定(1997)、宗教活動場所管理条例(1994)」が貼られており、内部正面には「宗教活動場所登記証(2003.06.30)」が掛けられていた。中国では宗教場所にはこれらが掲げられていなければならない。
村に戻って、村の雑貨店で休んでいて、たまたまやってきた女性に話しかけたら、「サラマ」(「先生の妻」という意味、31歳)だったので、話を聞いた。老邁村はバプティストの村で、洗礼の際には全身を水に浸すやり方をとる。サラマ自身は15歳の時に洗礼を受けた。子供の頃は父が病気だったため、中国語の学校は3年しか行かなかった。ラフ文字は政府の「課本」(教科書)で勉強したという。タイのラフの間でも、司牧者の資質のひとつはラフ語の識字技能をもっていることだが、ここでも同じらしい。中国では少数民族語による教科書が作られているが、それを教科書としたのである。
村教会には、「ボコゥ」(bon kaw、牧師)と「メコゥ」(meh kaw、牧師夫人)、「先生」(sa la)と「先生夫人」(sa la ma)がいる。牧師と牧師夫人の役割は、「宗教を教えること」で、「先生」と「先生夫人」の役割は、「(ラフ)文字を教える」ことだそうだ 。(1)他には、教会婦人部会と教会青年部会があり、それぞれ婦人部会長と青年部会長がいる。青年部会には男10人、女10人の20人のメンバーがいるという。
礼拝は週に一度日曜日に4回おこなわれる。朝の礼拝は「8時から」始まり、「病気などにならないように」と祈る。婦人会の礼拝は「12時から」始まる。メインの礼拝は午後「3時に」始まる。青年部の礼拝は午後「5時から」始まる。
朝の礼拝は、「賛美歌を歌う」→「祈る」→「ラフ文字を学ぶ」の後、「それぞれに歌を歌う」と進んで終わる。献金を集めることはしない。
婦人部会の礼拝は、「献金する」→「ラフ文字を学ぶ」→「賛美歌」→「祈る」と進む。
全体の礼拝は3時から始まり、1時間余りかかる。「祈る」→「賛美歌」→「献金」→「ラフ文字を教える」→「祈る」→「賛美歌」と進む。
青年部会の礼拝は、青年部会長が司式し、同様に進行するという。
ここで特徴的なのは、ラフ語の識字教育が各礼拝時の一部に組み込まれていることである。タイやビルマのキリスト教徒ラフ(バプティスト)のあいだでは、日曜学校Sunday schoolとして、土曜日や日曜日に別に時間と場所を取って、ラフ文字の教授が行なわれている。
主要年中行事について尋ねると、(1)クリスマス、(2)聖餐、(3)新米祭が挙げられた。新年祭はどうするかと聞くと、「クリスチャンの新年祭」bon ya hk’aw ca veは12月25日だという答えを得た。最も重要な年中行事という意味なのだろうが、クリスマスが「新年祭」に比されているのが興味深い。豚をつぶして、昼間に「祈祷」した後で、豚肉料理を食べる。夜にはクリスマスの寸劇が演じられる。12月25日の3-4日前からは、聖歌隊が回る。ギター伴奏で、キリスト誕生についての歌を歌い、一軒一軒を回る。他の村にも行く。訪ねた家からは、お菓子とお金が供されるが、額は10、20元から、時には100元払われることもある。
3月から4月にかけて、聖餐式が行なわれる。聖餐を行なう資格のある「サラロー」(「大先生」の意味)が、糯福からやってくる。葡萄ジュースを飲み、「お菓子」(パンのことか)のかけらを口にする。
新米祭は、(「ラフの暦」、つまり農暦)の8月15日に行なわれる。村内にはラフシの「異教徒」(非キリスト教徒)も10軒ほどいるが、同日に一緒に行なう。クリスチャンは皆サラ(または牧師?)の家に来て一緒に食べるが、各家でも食べる。他村の人々も遊びに来る。タイのラフニのように、新米の穂を入れて古米を蒸して食べるのでなく、新米を炊いて食べる。餅米でなく粳米を食べる(これはタイのラフも同じ)。
復活祭には特に行事はない。ただ3月の復活祭近くの礼拝時には、イエスが復活したという歌が歌われる。
- 「ボコゥ」「メコゥ」という言い方は、タイのキリスト教徒ラフの間では聞かれない。タイでは村牧師は「サラ」(先生)である。日曜学校でラフ文字を教える者は、村牧師と同一である場合もあるし、別の人物である場合もある。後者もたいがいは「サラ」と呼ばれるが、区別を示す場合には、「日曜学校で教える」(Sunday School ma pa)という限定がつけられる。
西本 陽一
金沢大学文学部 准教授
研究テーマは「北タイ山地少数民族ラフにおける宗教変容と語り」で、主な著作に『神話の社会空間―山地民ラフの『文字/本の喪失』の物語』(世界思想社)などがある。